『ビジネス倫理の論じ方』:本書の目的

本書の目的

(以下、序章「倫理はなぜ/いかにビジネスの問題となるのか」(佐藤方宣)より抜粋)

本書の問い
 倫理はなぜ、そしていかにビジネスの問題となるのか、これが本書全体を通じてこだわってみたい問いである。この問いを発するとき、ビジネスは倫理などと無縁と決めつける態度はもちろん、その結びつきを当然視する態度からも距離をとることになる。この二つの態度から可能な限り身を引き離しつつ、日々の経済活動にあるさまざまな“倫理的モメント”の意味と意義を考えていくこと、これが本書を貫く問題意識である。

ビジネスに倫理を!/ビジネスに倫理を?
 ビジネス倫理の「理由」や「論じ方」にこだわろうとする振る舞いは一見奇妙なものに見えるかもしれない。「ビジネスに倫理を!」という声はすでに大きなものとなっており、ビジネス・エシックスなり企業の社会的責任(CSR)なりといった言葉はメディアで広範に流通し、いささか陳腐化しつつさえある。各企業はコンプライアンスの担当部局を設けてさまざまな活動を行っており、また消費者教育や投資家教育の必要性が喧伝されてもいる。すでに問題はビジネス倫理の具体的実践にこそあるのであり、その「理由」や「論じ方」などに拘泥しなければならない理由などにはないように思われるかもしれない。
 
 しかし後で見るように、実はビジネス倫理に対してはとりわけ経済や倫理の専門家のあいだでは否定的な見解の方が多いのが実情である。曰く、それは企業の宣伝活動の一翼を担うものであり本来的な意味での「倫理」とは無縁のものに過ぎない。そもそもビジネスとは利益追求活動なのであり倫理などとは関係ない。昨今ではビジネスとは無縁のはずだった大学の倫理や哲学の専門家にさえ応用倫理としてのビジネス倫理学が要請されるが、それは所詮、応用ばやりの世情を受けての身過ぎ世過ぎの振る舞いに過ぎない、と。
 
 このような「ビジネスに倫理を!」という一般の声の広がりと「ビジネスに倫理を?」というシニカルな懐疑の存在は、当然ながら本書の取り組みの前提条件となっている。・・・
(以下、略)

政策・制度・法令を問う手前で
 「経済と倫理」という大きな問題を立てたとき、すぐに思い当たるのは社会保障制度や累進所得税や環境税を通じた福祉の実現の問題だろう。どのような福祉社会をいかなる手段で実現すべきか、厚生経済学やロールズ以降の倫理学や政治哲学の領域ではいまなお活発な議論が続けられている。マクロ経済政策や競争政策、あるいは年金や社会保険やベーシック・インカムをめぐる論議など、制度の望ましさをめぐって論ずべきテーマには事欠かない。そうした問題を哲学的・倫理学的に考察する書物は多数刊行されている(塩野谷[二〇〇二]ほか)。
 
 しかしそこで意見の対立や相違が可能になる背景には、実はある共通の合意があるのではないだろうか。福祉の問題は政策の問題であり、なんらかの政策的関与や制度設計を行うことが前提とされる。そこでは何もしないことを主張することでさえひとつの「選択」の主張として機能してしまう。それゆえ公共政策の問題に関していえば、経済の倫理が“問われることそれ自体”の意義は共有されているとしていいのではないか。
 
 しかし、個人や法人その他の団体が経済主体として日々執り行っている商品・サーヴィスの生産・購入・販売に関わる諸活動(これを「ビジネス」と呼ぼう)については、そのような合意が存在するとは到底いえそうにない。あからさまに語られるか建前で隠されるかの別はあったとしても、むしろビジネスが倫理と無関係であるとの主張のほうが力強さをもっているように見える。それはとりわけ法人企業の社会的責任をめぐる論議の歴史に目を向けるとわかるだろう。そこでは一貫して、そもそも企業に社会的責任だの倫理だのを要請することそれ自体が誤り、いや「見当違い」である、という見解が大きな力を持ってきた。
 
 それだけではない。企業倫理や社会的責任論議の台頭をシリアスに受け止め、ビジネスの現場で実践していこうとする立場の人々の言説においてすら、なぜ/いかなる理由で倫理や社会的責任が要請されるのかについて特段の省察がなされることなく、“昨今声高に論じられるようになっているから”という他律的な観点からそうした問題に取り組んでいるケースが圧倒的多数のように見える。つまりここでは、本来なら問われてしかるべき問いが、問われないままにとどめておかれているのだ。
 
 本書の各章でビジネス倫理の「論じ方」にこだわるなかで問われているのは、まさにこの問題である。もちろんそれは特定のタイプの商業道徳を唱導するような態度とは異なる。本書で行いたいのは、ビジネスを論じる際に倫理の問題が無関係[irrelevant]でありえないことを示し、そこに問うべき問いがあることを指し示すことである。
(以下、略)